フミコフミオ

豊田真由子衆議院議員の「このハゲ―!」という絶叫が僕らの心に響くのは、僕らの心の中にある、絶対に触れて欲しくないところをガガガガって乱暴にかきむしりキズつけるからだ。僕は「このハゲ――!」「ち~が~う~だ~ろ~!」と、自己の立場も顧みず、所属政党を壊滅させてまで、政界の中心で叫んだ豊田真由子議員には尊敬の念しかない。その絶叫が、ハゲに対する100%純粋な侮辱であり、パワハラそのものであり、そこに一切の予断や誤解を挟む余地がないからだ。いっそ清々しい。現代の日本を悪くしているのは、非や欠点をはっきりと指摘しない国民性にあるのではないかと僕は思っている。

「ハゲ・イコール・侮蔑されるもの」、誰しもが思っていながら、ハゲの気持ちを忖度するあまり、目を背けていた確固たる事実を、豊田真由子様は、あらためて日本国民に突き付けてくれた。だが、もし、豊田真由子様の絶叫の直撃を受けた秘書がハゲでなかったら、あれほどヒステリックでバイオレンスな暴行と恫喝を受けただろうか。想像の域を超えないが、僕はそうは思わない。たとえば「このハゲー!」を「このフサフサ頭―!」に置き換えてみるといい。罵倒ワードとしての機能は喪失し、どこかガーリーで、なんだかカップル同士のイチャツキ雰囲気まで加わってしまうではないか。
つまり、それだけハゲという言葉、ハゲ状態には負の破壊力がある。人はよく、髪が薄くなってきた男性に対して、「短くカットしてハゲを隠さないほうがいい」などと体裁のいいことを言う。あるいは頭部側面のロングに伸ばした髪を、薄くなった頭頂部に橋渡しするように、乗っけてバーコード状にしている者について「みっともない、堂々とハゲを出していけばいいのに、」などとこれまた理解のある人のようなことを当人のいない場所で言う。

《ハゲは恥ずかしくない》《ハゲを隠すほうが恥ずかしい》。そもそも、なぜ第三者からそのようなことを言われなければならないのか。ちーがーうーだーろー!ハゲは恥ずかしく、バーコードはみっともない。これこそが真理。ただ、この人手不足を乗り切るためには猫の手どころかハゲの毛も借りなければならないという大人の都合上、とりあえず目の間にある業務や仕事を遂行するために、ハゲを傷つけないようにして、ハゲをうまく使わなければならない。それだけのことなのだ。そこには業務上及び経済上の事由からなるうわべだけの思いやりしかないのである。もし、ハゲを自分の問題としてとらえているのなら、ハゲは恥ずかしくないなどと非論理的なことが言えるはずがないのだ。

豊田真由子様は、このハゲ――!という絶叫ひとつで、秘書の心身をデストロイすると同時に、そういう、日本国民が長い年月をかけて作り上げてきた、いわば忖度からなるハゲ活用社会システムを破壊したのだ。
僕はこの国で最もあの絶叫に心を乱された人間のうちの一人、「真由子チルドレン」を自認している。僕の世代の人間は、多かれ少なかれ、意識が覚醒した年頃からハゲは隔世遺伝するという説を刷り込まれてきた。「ボクはおじいちゃんがハゲていないから安心だ」「オレはじいじがハゲているけれどオヤジはふさふさだから、絶望するにはまだ早い」そんな会話を草野球の合間に友達たちとよくしたものだ。父親、祖父、曾祖父。先代3人がそろいもそろってつるピカハゲ丸だった僕には絶望しかなかった。いわば、確定されたハゲ。僕は絶望の未来に震える哀れな少年だった。「どうか、どうか髪の毛が抜けませんように」と七夕の短冊に書いて、教室の笑いものになったこともある。それくらい少年時代の僕には、一貫して、ハゲが「今そこにある危機」であり続けていたのだ。

ハゲに怯え続けた僕は、それが本気であれ遊びであれ、ハゲと言われることに恐怖し、それゆえ過敏に反応するようになっていた。ファミコンの「ボンバーマン」や「バンギリングベイ」の対戦プレイで友達を殲滅したとき、逆上した友達が「ふざけんなよ、ハゲ」と言ってきたとき、僕は、自分のどこがハゲなのか、その根拠を示せ、もし僕がハゲでない証明がなされたとき責任をどのように取るつもりなのか、つって、そいつをネチネチと問い詰め、親が出てくるまで泣かせ、数か月間の絶交に追い込んだこともあった。それくらい僕はハゲを恐れていたのだ。

とある、うららかな春の日、床屋から出てきた僕に女子3人組が「ハゲ!」と言ってきたとき、心の底から傷ついたのを今でもよく覚えている。僕が相当に傷ついたのは悪口としての「ハゲ」でなく、僕の坊主にしたばかりの頭を見てその状態から判断して「ハゲ」といってきたのが明確だったからだ。ハゲでないのにハゲとされてしまう恐怖。冤罪の恐怖。その恐怖は僕の心と体に傷となってしっかりと残っている。僕はそのとき、女子三人に「ちーがーうーだーろー!お前らはどれだけ僕の心を叩いている?」と心の中で叫んでいた。その全否定の叫びは、豊田真由子様のあの叫びと同じ種類の獣性を宿していたのは言うまでもない。

しかし、なぜ、ハゲは見た目が、もののあわれや無情観を喚起するとはいえ、そこまで嗤われ、バカにされ、衆議院議員から「このハゲ―!」などと罵倒されなければならないのだろうか? わからない。 僕は、祈るような気持ちで、髪、髪、髪、髪と呟いた。KAMI。KAMI。KAMI。KAMI。 !? 髪→KAMI→神。神がそこにいた。髪がなくなるというのは、神がいなくなるということであり、不吉極まりないから忌み嫌われているのではないか。

ちーがーうーだーろー!このハゲ―!と僕の全人格を否定しないでほしい。この説が正しいとか間違っているとかは些細なことなのだ。問題は、特に意味も理由もなく、豊田真由子様がハゲを恫喝し、世間一般市民からハゲが忌み嫌われていることの理不尽さにあって、そんなのはもはや「神の不在」という概念を持ち出して、処理するしかないという厳しすぎる現実にある。そんな現実に対して無力な僕らは叫ぶことしかできない。「ちーがーうーだーろー!」と。






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著者プロフィール フミコ・フミオ 

Everything you’ve ever Dreamed

サラリーマンのロックロールな日記です。はてなダイアリーから引っ越してきました。ピース。アイコンはでんでん様。書き物の依頼はメールで→fumikofumio0213アットマークgmail.com