昨今の毛髪の需要と供給の不一致は絶望的としか言いようがない。これを是正しないかぎりこの国は亡びる…。そんな危機感を持ちながら平凡な日常を生きている。この文章は、絶望的な毛髪供給への危機感をシェアすることでこの国難を乗り切りたい、そんな純粋な祈りから書かれたものである。

私事で大変恐縮だが、最近、頭髪の抜けが酷い。特に額の上、もっとも人目につく部分に生えている頭髪の抜けが酷い。今夏の終わりごろから、人と話をしているとき、相手の目線が、僕の額に向いているような気がしていたのは、気のせいではなかったのだ。入浴後の浴室。排水口にからまって、よくいえば北海道産の良質なウニのように、悪くいえば都会の海岸にへばりついたヘドロのようになっている、かつて自分の一部であった髪の毛のかたまり。その哀れな惨状を頭に浮かべるだけで涙が溢れ出てくる。

父と祖父がハゲ。弟もハゲ。上司もハゲ。隣人もハゲ。そんな絶望的な状況に打ち勝ち40代半ばの今日にいたるまで、なんとか頭髪を維持してきたが、昨年末から8か月に及んだ失業期間のストレスと炎天下アルバイトによる頭部への超ド級ダメージは、瞑想、丁寧なシャンプー&リンス、就寝前の頭皮マッサージで解消できるものではなかったようだ。頭髪のボリューム感は喪われ、ペタンと寝てしまっている。ちょうど、サンダーバード2号の発射シーンの、発射経路を確保するために毎回パタパタと倒されていくヤシの木のように僕の頭髪も無惨にパタパタと倒れてしまっているのだ。

哀しみしかない無惨な頭髪とは裏腹に、おかげさまで下半身は絶好調である。下半身が絶好調、というと性的なイメージをお持ちになるのが人の常であるが、ここでいう下半身は純粋に上半身の対義である下半身のことである。要するに下半身の毛髪、つまり陰毛の勢いには衰えが見られない。一度もパーマネントをあてた記憶はないが、なぜか陰毛はウエイビーで、誰からも望まれていないのに無駄なボリューム感があったりもする。頭髪と下半身。毛髪の需要と供給の不一致である。

「もし、このウエイビーでボリューミーな陰毛を薄くなった頭髪の薄毛対策につなげることができたら何人の人生が救えるだろう…」、ぼんやりとそんなことを思いながら民放放送を液晶テレビで見ていたら「上半身に重度の火傷を負った人が尻の皮膚を移植して復活」という内容の話をやっていた。そして閃いた。《陰毛を頭髪にせよ!》。そういう発想に繋がる教育を受けた経験はないので、今、思えば神からの啓示だったのかもしれない。

思いついたものの、悪魔の誘いにも似たその考えを実行に移すことは躊躇われた。僕は北朝鮮の指導者の気持ちと完全にシンクロしていた。「グアム近海にミサイルを撃ち込む」と勢いでいったものの、無慈悲に実行することは出来ない…。陰毛を頭髪に変換することは、人として、あるいは道徳上やってはならないことに思われたのだ。

いくつかの葛藤と逡巡を経て、あるいは抜け続ける頭髪という厳しい現実が逃げたいという自分の弱さから、今朝、悪魔の計画を実行した。具体的にいえば増えすぎた陰毛を大胆に抜き、己の手のひらで絡めてウール状にしてから、頭髪の薄い箇所に載せてみたのだ。残存している頭髪に引っかけるようにして設置された陰毛たちを、椎名林檎さんならば『陰毛オーバーヘッド』とでも呼ぶだろうか、森田童子さんなら『たとえば僕が抜いたら』と嗤うだろうか。

大胆に陰毛を抜いているとき、不思議なことにBIN‐KANであるはずの下腹部に痛みは走らなかった。抜かれるべくして抜かれているように思えた。「もしかしたら陰毛とは、頭髪を補完するため、抜かれるのを予めさだめられた存在なのかもしれない。」「陰毛を頭髪にすることは、あるべきものをあるべき場所へ戻す、いわば、回復の作業なのではないか」そんな言い訳をしながら、僕は陰毛の冠を戴冠したのである。

40数年生きてきて初めて気づいたのだが、人間は陰毛を頭に載せると冷静になってしまう生き物らしい。「人はここまで抜け毛やハゲを畏れなければならないのだろうか?」「恐怖で陰毛を頭に載せるなど滑稽で哀しすぎやしないか?」ふと、そんな考えが湧きあがってきてしまった。極論をいえば、ハゲでも生きていくことはできる。問題ない。だけど人は一人では生きていけない。悲しいかな、自分以外の人間がハゲに対してネガティブな感情を抱いたり、悪口を言ったりするようなら…その世界でハゲとして生きていくのは、ただ、ただ、辛いものになってしまうのだ。

なぜ、ハゲはバカにされたり、某衆議院議員が「このハゲ―!!!」と絶叫したように悪口そのものになってしまったり、するのだろうか。いくつかの要因がある(ひとつは自らのハゲで笑いを採りにいく不届き者の存在。これはもうどうしようもない)が、最も大きなものは、頭髪に命にかかわるような機能が備わっていないからだと僕は推測する。

ハゲでも問題なく生きていける。しかし、心臓のように止まったら即落命のような臓器の問題を揶揄することは、命にかかわる問題を揶揄することになってしまう。洒落にならんというやつである。ある人を罵倒したいが、洒落にならんことをいうと問題が大きくなり、最悪、訴えられたりして高額賠償金で死にかねない。それならば、直接命に直結しないハゲを罵ろう。笑ったっていいだろう、死ぬわけじゃないし、だってハゲだもの。そういう自己保身と他者への罵倒の合間で産まれたのがハゲに対する嘲笑と悪口なのだと思う。ハゲ側からみたらとんでもないことである。

このようにハゲを嘲笑する文化の背景には人間の汚らわしい性分が存在したのである。僕はこのハゲというだけで嘲笑されるうす汚い世界を変えたいと思う。いや、自分でやるのは面倒くさいので誰かに変えてもらいたい。そんな救世主が現れるまで、ハゲはハゲというだけで何の罪もないのに嘲笑され続けるし、隠れキリシタンのように隠蔽しなければならないし、抜け毛との厳しい戦いは続いていく。

「こんな残酷すぎる世界で、どう立ち回ったらいい?」頭をうなだれると、ハラリと何かが落ちていき、洗面所のシンクに落ちた。頭に載せていた陰毛だった。所詮、偽りの冠。陰毛を頭に載せる。そんないい加減な、人間としてどうかしている処置をするよりは正々堂々としかるべき治療を受けて救世主を待ちたい。それが人としてあるべき姿なのでないか。頭に載せていた陰毛を手にそう覚悟を決めた10月20日は奇しくも頭髪の日であった。(完)






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著者プロフィール フミコ・フミオ

Everything you’ve ever Dreamed

サラリーマンのロックロールな日記です。はてなダイアリーから引っ越してきました。ピース。アイコンはでんでん様。書き物の依頼はメールで→fumikofumio0213アットマークgmail.com